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EPISODE 1 応援グッズのパイオニア
阪神タイガースと高校野球の繋がり

野球やサッカーなどのスポーツ観戦に、応援グッズは欠かせない存在です。
今では当たり前になったこの応援グッズ、ある男性が抱いた情熱から生まれたことは、あまり知られていません。
応援グッズのパイオニアは、高校野球や阪神タイガースとゆかりの深い、シャープ産業の創業者、小林勝喜なのです。
応援グッズがどのようにして生まれ、みなさまに愛されてきたのか、応援グッズの歴史をご覧ください。

応援グッズのパイオニア~創業エピソード~

高校野球や阪神タイガースと絆の深いシャープ産業の創業者、小林勝喜は新潟県出身で、神戸経済大学(現神戸大学)卒業後は山下汽船(現商船三井)に入社し、東京で働いていました。
関西出張の仕事終わりに阪神甲子園球場で高校野球観戦をしたことが、応援グッズ誕生のきっかけでした。

時は1961年(昭和36年)8月、戦後16年になる年です。
高度経済成長も始まっており、人々の間では娯楽が強く求められる時代でした。
特に野球は人気絶頂で、小林が観戦した甲子園での高校野球も超満員の大人気だったのです。

ところが当時、阪神甲子園球場には「甲子園ならでは」の土産物がありませんでした。以前から小林の友人が「甲子園には土産品がない」とこぼしていたことも影響し、「全国から多くの人が集まって来る。記念品や土産物があれば必ず喜ばれる」と確信しました。

第4試合の途中で帰りの列車時間になり、席をたちました。阪神「甲子園」駅に着くと、大歓声が聞こえ振り返ったところ、目の前にあったのは夕陽に照らされた真っ赤な甲子園球場でした。その瞬間、小林は内に秘めていた感情が燃え上がり「自分がやるしかない」と心に誓い、創業を決意しました。

高校野球の記念グッズが大人気に

燃えるように赤く照らされた甲子園球場を見て決断した思いを胸に、小林はまず高校野球の記念品を作りたいと考えました。

1963年(昭和38年)4月に山下汽船を円満退社してから、高野連(日本高等学校野球連盟)を訪れます。当時副会長(後の会長)だった佐伯氏とは山下汽船時代に面識があり、直接、記念品の構想を話すことができました。
高野連には「高校野球は教育の一環」という考えがあることから、反対されるだろう、という覚悟でしたが、「そりゃ、いい案だ。すぐおやりなさい」と、以下の4つの条件付きで承認をいただけたのです。
・商品は教育に資するもの
・粗悪品は売らない
・暴利はむさぼらない
・絶対に途中でやめない
この条件に小林は「死んでもやります」と心に誓いました。

小林は早速、現在も人気の校章・出場校名入りの三角ペナントを生み出し、甲子園球場にて1枚150円で売り出します。当時、小林の妻と友人がペナントを内職で作る会社をしており、ノウハウもあって手作りした記念品でした。新聞で「よく売れる三角旗」と記事にもなり、工場は24時間操業で1日3000枚をつくる人気グッズとなったのです。

その他にも、校名入りボールやタオル、教育面からもノート、下敷きなどを売り出します。
後に佐伯副会長から「君が店を出してから入場者が増えている」と激励され、高校野球の記念グッズ・応援グッズは大成功したのです。

阪神タイガース応援グッズ誕生の瞬間

高校野球のグッズで成功を収めた小林は、プロ野球の試合観戦時、観客に喜ばれる応援グッズの開発に取りかかったのですが、阪神タイガースからの販売許可が降りるまでに1年半かかりました。
しかし、阪神タイガースの親会社である阪神電鉄社長・野田オーナーに直談判をしたところ、すぐに許可が下り、日本初の球団応援グッズが実現することとなったのです。

1965年(昭和40年)当時、プロ野球の応援は手拍子などがメインでした。
まず小林は甲子園球場で「ミニ球団旗」を発売、小林の妻が売り子として、振り方を実演しながらスタンドを歩きましたが、目立った売れ行きには至りませんでした。
しかし、ある試合のテレビ放送によって転機は訪れます。観客がミニ球団旗を楽しそうに振る様子が放映されたことで、翌日から飛ぶように売れ出したのです。
そして甲子園球場のスタンド全体は黄色と黒のタイガースカラーに染まっていきました。
観客が「見る応援」から「参加する応援」に変わり、『応援グッズ』と言うカテゴリーが生まれた瞬間です。

この年(1965年)、家族経営だった会社を株式会社に改組し、シャープ産業株式会社としました。
そして甲子園球場内に店舗を開設、現在も多くのファンの皆さまにご利用いただいています。

小林は、阪神タイガースの生みの親でもある阪神電鉄初代社長の外山修造氏とは同郷の縁もあり、阪神ファンの1人としても、阪神タイガースや高校野球の甲子園との絆を深めました。
小林の実直な性格もあり、企画はまずは阪神から、それから球界全体に広がってほしいという想いをそのままに、応援グッズはその後、他球団にも広まっていきます。

創業者の想いを応援グッズと共に

創業者の小林は「お客様が喜ぶものを提供していきたい」という想いから、多種多様な人気商品をこの世に生み出し、広めていきました。

小林の想いから生まれた応援グッズや球団グッズは、三角ペナントやミニ球団旗以外にも、左右を外せば両手で叩けるVメガホンや、それをバット型に進化させたVメガバットなど、数えきれないほど多くのグッズを世の中に送り出しています。
阪神ファンお馴染みの「ラッキーセブン風船」と名乗るジェット風船は小林が手がけ、観客がより楽しく応援できるよう改良を重ねてきた応援グッズです。
アフターコロナでは、ジェット風船を絵柄にしたタオルがファンの皆さまに愛されました。

どの応援グッズも「応援したい」という気持ちを乗せて、チームや選手にパワーを届けているのです。

2023年(令和5年)には38年ぶり2回目の日本一となった阪神タイガース。日本シリーズの試合でも、タイガースファンが球場を埋め尽くし、それぞれが好きなグッズを手に持って、うなりを上げるような応援で喜びや感動をする姿は、応援グッズのパイオニアであるシャープ産業の創業者、小林が望んでいた光景そのものです。
2017年(平成29年)に小林は永眠しましたが、小林の夢は今なお続いています。